misoharuのブログ

気まぐれに感じたことを書きます。

「フツウ」の感覚

新しい職場での生活も1ヶ月を過ぎました。

 

週休2日制、ノー残業デー、1分単位の残業代

経費申請、タクシーチケット、完成された組織など...

 

全ては自分にとって初めての経験です。

遅くとも19時には職場を出て家に帰り、ご飯を食べてからは尚、何かをする時間がある。

 

プライベートの復活だ。

 

昨日は2年4ヶ月ぶりに大学部活動の練習を見に行きました。

サイボウズ社の軟式野球部と、慶應義塾軟式野球部の合同練習を企画し、色々な方が参加してくださいました。

大学軟式野球全日本代表のピッチングコーチも参加してくださり、とても充実した時間でした。

 

毎週のようにイベントがあり、幸せとは何か

ということを改めて思い知らされます。

 

合同練習の後は久々にあった同期と後輩部員と飯に行きました。次期四年生なので、思わぬOB訪問となりました。

 

その時、前の職場のことを話しました。

当然の100連勤、死ぬほど勉強したこと、年間休日10日(お盆と年末年始)、0時前に帰ったことが数回しかなかった事、仕事後シラフでゲロを吐き続きた事、メンタルアタックを毎日受け続け無感情なのに涙が流れてるようになったこと、忙しさに忙殺される中意識が飛んで気がついたら2ヶ月経っていたこと、身体を壊したこと...

 

フツウじゃない

そうよく言われていましたが、何がフツウ?

週休2日がフツウなのか、残業代でるのがフツウなのか。

 

人が言うフツウなんて主観的なもの。

その人がフツウと信じればフツウとなり、信じなければどんなに福利厚生や待遇が良かろうとフツウではない。

要は比較の問題で、何と何を比較するのかということ。

 

人間は比較をしなければそれが価値あるものなのか、ないものなのか知ることはできない。

だからこそ、広告やマーケティングの世界では比較を用いる。これはいわゆる人間の行動心理に基づいた行動経済学の範囲の話。

 

服屋にいって値引きされた札をみると

元値 ¥80,000の上に斜線なりがされ

¥60,000と表示される。意図的に元値が見えるように展示するのがミソである。

 

同じ洋服でも、¥60,000とだけ表示された札と、¥80,000→¥60,000(25%OFF)と書いてある札の方が売れるのは人間の心理学と経験則によるもの。

 

本当に考えなくてはいけないのは、本当にそれ自身の価値が¥60,000あるのかどうかということ。

これをもし元値の値段をさらに高くしたらどうだろうか。

元値¥200,000→¥60,000(70%OFF)

さきほどの¥80,000からのものと大分インパクトが違う。

 

ただ、あまりにも元値が高すぎると流石に怪しいので、怪しまれない範囲で意図的に操作することが可能である。

この手口というのはテレホンショッピングでとても昔から有名。

なんと¥20,000!と最初言っていたにも関わらず、最終的に¥5,000である。

いきなり¥5,000というより、明らかにウケが良い。

 

この比較を相手にさせ、意思決定を相手自身にさせ、納得させるこの手法はダブルバインドと言われ、ブラック企業独裁国家、オカルト宗教の世界で良く使われる。

 

ヒトラーがいたかつてのドイツ。ヒトラー大総統にしたのは他でもない、一般大衆である。つまり我々、一般市民がヒトラーを生み出した。

マインドコントロールダブルバインドなどあらゆる手段を使い、一般市民を洗脳、一般市民が自発的に自分に賛同するように仕向けた。

 

そういう意味でヒトラーは本当に天才である。

ただ、そのマインドコントロールも使い方を誤れば間違った方向に行く。その展開例であるが、二の舞を踏む、大統領や社長専務がいかに多いことか。

 

結局、フツウなんてものは存在しない。

フツウらしきものは存在する。それは憲法や法律によって制定される。

 

プロ野球、野村監督がいう

「上を向いて進め、下を向いて暮らせ」

というのは持つべきフツウや常識を見失わないための一つの手段ではなかろうか。